モロッコ砂漠の旅|マラケシュ①

マラケシュ|バックパッカー旅行記

いよいよ待ちに待ったモロッコへの旅が始まるということで私はとてもワクワクしていた!スペインのグラナダに暮らしていた私は、4人の友人と共にマラケシュへ飛んだ。
モロッコ旅の当初の計画は10日ほどであったが、実際に現地へ到着して旅が始まるともう少しのんびりとモロッコを感じたくなり、往復で予約していた飛行機の復路便は捨て、エッサウィラなどがある大西洋沿いまで抜けてから北上し、セウタからフェリーでスペイン本土のアルヘシラスへ戻った。

旅のルート


photo by gailhampshire  ※写真はイメージなので細かく詳細はのっていません。
セビージャからマラケシュまで飛び数日滞在、その後はバスでワルザザートまで行き、砂漠のメルズーガを目指す。メルズーガまでは、ワルザザートやアイット・ベン・ハドゥを通る南回りのルートを使った。
主要な移動方法はバスだったが、この旅では僕らは5人だったので時々タクシーにも乗ったし、かと思えば、満月の月明かりの下での深夜の徒歩移動をしたりもした。あの時は、時がとまったような特別な時間だったのを覚えている。

メルズーガからマラケシュへの戻り道は、北回りのルートを使い、モロッコのグランドキャニオン・トドラ渓谷のあるティンジルを訪れた。
マラケシュに戻ってから帰りの飛行機を待ちながら、街で数泊時間を潰そうと考えていたが、まだモロッコを去るには名残惜しかったのか予定を変更して、、マラケシュからエッサウィラへ、そしてカサブランカ経由でタンジェへ行き、最終的には陸路でアフリカ大陸のスペイン・セウタからフェリーでスペイン本土のアルヘシラスに戻った。
2週間ちょいのモロッコ旅であったが、個人的にはちょうどいい期間でだったように思う。街が気に入れば延泊し、時間に追われる忙しなさもなく選択の余裕があってとてもいい旅った。
何より旅人なら一度は訪れたいサハラ砂漠、その砂漠のど真ん中で星を眺めながら眠ることができた。
もしも、旅仲間や友人に「モロッコ旅に必要な期間は?」と聞かれたら一週間は最低でもみておくといいと私ならおススメするだろう。

タクシーの乗り方|【交渉するときの注意】


photo by Sherpas 428
Marrakesh MenaraAirport(マラケシュ・メナラ空港)からマラケシュ市内中心までは約5㎞、プチタクシーで15-20分ほどである。
タクシーの料金相場は、時間帯で変わるが、昼間なら70dh(ディルハム)、夜は150dhである。
なので空港到着時にタクシーを利用する際は、相場を把握した上でボッタくられないように、そしていくら値切れるからといって行き過ぎた交渉は避けるようにしたい。
【あの日、空港を出るなり・・・】
旅中の交渉って楽しいですよね。私もついついやってしまうのですが・・・
私「50dhで市内中心まで乗せてくれる人いますか~?」と大声でタクシー運転手たちに呼びかけた。
タクシーA「問題ないぜ、乗りな!」 と、ここでやめとけばいいものを、、
私「40dhで市内まで行ける人~?!」
するとタクシーBが現れ、「いいよ、乗ってきな」
もう十分安くなったし、ここらで手を打つか。と皆揃ってタクシーに乗ろうとしたところ、、、
タクシーA「てめえ何やってんだよ、これは俺の客なんだよふざけんじゃねえよ!」(アラビア語もしくはベルベル語)
タクシーB「そんなの知らねえよ。お客が乗るっていうから乗せただけだって!」
いつのまにか胸倉を掴みあい、今にも本気で殴り合いの喧嘩が始まりそうな雰囲気。
他の運転手たちも集まってきては、喧嘩に混ざるもの、そして止めるもの。
気付けば10人以上が集まる大騒ぎとなってしまった。
モロッコはインドなどと少し雰囲気が似ていますが、人々は全体的に過激な反応を起こしやすいように思えます。
この後にも書いていきますが、モロッコ旅中だけで私は3つの問題に巻き込まれえています(起こしている?笑)
さすがにこの時ばかりは、調子に乗りすぎたかなと自分なりに少し反省をしたのであります(笑)

女子ひとり旅について


詳しくは【メルズーガ編】で旅の様子を交えて書いていきたいと思いますが、女子のひとり旅はおススメできません。
「モロッコの女子ひとり旅は危ない」と何度も耳にしたことはありましたが、実際にその噂を信じざるを得ない事件が起きたのです。
運がいい、悪いなどもあるかもしれませんが、何かあってからでは後の祭りですから、極力モロッコの女子ひとり旅は避けるようにしましょう。

モロッコとスペインの関係|
【モロッコを旅する前に知っておきたい簡単にわかる歴史】


モロッコでは主にアラビア語とベルベル語が公用語として話されていますが、実は現地の地域によってはスペインまたはフランスが通じる人々も少なくありません。
その理由に、かつてモロッコがスペインやフランスに侵略されていた時代背景があります。
当時のヨーロッパは植民地時代でした。
スペインやフランスだけではありません、ヨーロッパの多くの国が出来るだけの国を植民地化し、自分たちの領土を沢山持とうとしました。
いわゆる世界版モノポリーのような時代です。
イギリスやドイツ、世界の大国に負けまいとスペインとフランスはモロッコを獲得しようとしました。
モロッコを植民地化する狙いはいくつかあり、
1、領土が増える
2、キリスト教の宣布(イスラム教やユダヤ教の衰退化)
3、モロッコの文明の発達
4、貿易
5、天然資源の獲得(農業に欠かせないリン肥料の原料・リン鉱石が豊か) が挙げられます。
1912年には正式に、モロッコがスペインとフランスの支配下に堕ちます。
セウタやタンジェを含む北部とカナリア諸島などを含む南部はスペイン領土へ、そしてカサブランカやマラケシュを含む大部分の中央部分はフランス領土となりました。
この影響が今も残り、地域によってスペイン語やフランス語が通じる、もしくは使われているということになります。
そして1956年には、長年続いた独立の訴えが形となり、モロッコは再び独立国として復活しました。
が、地図で見るとどうみてもモロッコにあるセウタとメリージャは現在においてもスペイン領土です。
モロッコの植民地解放がなされたときに大部分はフランスとスペインにより返還されましたが、この二地区だけはスペインの主張(この2地区は15世紀から既にスペインの領土だから、話は別だ!)とのことで最後に残るアフリカの植民地と呼ばれています。

マラケシュ旅行記はまだ続く

マラケシュ旅行記はまだ始まったばかり、少しはモロッコの雰囲気や予備知識がついてきましたか?
マラケシュ旅行記②からはいよいよ、マラケシュの街を羽ばたいていきますよ!
それではお楽しみに!
マラケシュ旅行記②へ続く

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